『エイリアン:ロムルス』の感想


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エイリアンのファン

2024年の注目作、『エイリアン:ロムルス』がいよいよ公開されました!この映画は、SFホラー映画の金字塔『エイリアン』シリーズの最新作として、ファンの間で大きな話題を呼んでいます。リドリー・スコットが生み出した恐怖の象徴「ゼノモーフ」が、再びスクリーンに登場し、観客を未知の恐怖へと引きずり込みます。

『エイリアン』シリーズのファンとして、私は今回の『エイリアン:ロムルス』には複雑な気持ちを抱きながら映画館に足を運びました。『エイリアン』というシリーズは、1979年にリドリー・スコットが監督したオリジナルから、数々の続編、スピンオフ作品を通じて、ホラーとSFの傑作としての地位を確立してきました。その中でも特に印象深いのは、初代『エイリアン』と続編の『エイリアン2』。未知の生物が狭い宇宙空間で徐々に迫り来る恐怖、そしてそれに対抗するリプリーの姿が何度観ても心に残ります。

今回のエイリアン映画

以下は、『エイリアン:ロムルス』を紹介するためのブログ記事です。映画の主役、監督、製作陣などについての情報を含めつつ、ファンや一般観客が興味を持てるような形で紹介しています。


新たな恐怖が蘇る!?『エイリアン:ロムルス』の魅力を徹底紹介

あらすじ:新たな星で再び始まる恐怖

『エイリアン:ロムルス』は、地球外植民星を舞台に、強制労働を強いられた若者たちが物語の中心となります。彼らは、謎めいた施設に閉じ込められ、逃げ場のない環境で生き延びるために戦わなければなりません。しかし、彼らの運命を大きく狂わせるのは、そこで目覚めた恐るべきエイリアン、ゼノモーフ。彼らは未知の生物と対峙し、生存を賭けた壮絶なサバイバルを繰り広げます。

過去のエイリアンシリーズに登場したゼノモーフが再び姿を現すものの、今作では新たな恐怖の形が待ち受けています。過去作からの設定や要素が織り交ぜられつつ、これまでとは異なる視点で物語が進行し、新たな驚きが散りばめられたストーリー展開が見どころです。

監督:フェデ・アルバレスの新たな挑戦

本作の監督を務めたのは、フェデ・アルバレス。彼は、2016年に公開されたホラー映画『ドント・ブリーズ』で注目を集め、その独自の恐怖演出が高く評価されました。『ドント・ブリーズ』では、極限状態の中でキャラクターたちが追い詰められていく緊迫感を見事に描き出しており、その演出手法が『エイリアン:ロムルス』でも大いに期待されていました。

フェデ・アルバレスは、これまでにもダークで恐ろしい世界を描いてきましたが、今回の作品では、エイリアンという伝統あるシリーズの一部を担うことになり、彼にとっても大きな挑戦となっています。彼が描くゼノモーフとの戦いは、視覚的にも感情的にも強烈なインパクトを与えるもので、観客を絶え間ない恐怖に引き込むこと間違いありません。

製作総指揮:リドリー・スコットの存在

本作の製作総指揮を務めるのは、『エイリアン』シリーズの生みの親であるリドリー・スコット。1979年に公開されたオリジナル作『エイリアン』で、観客に未知の恐怖を植え付けた彼は、その後も『プロメテウス』や『エイリアン:コヴェナント』などでシリーズを手掛けてきました。スコットは、自身の作品における哲学的なテーマや、圧倒的なビジュアル美学を駆使し、映画界に数々の名作を残しています。

『エイリアン:ロムルス』においても、スコットの影響力は随所に感じられます。彼の手掛けた独特の世界観や、美術、音楽の融合が、作品に深みを与え、シリーズファンにとっては懐かしさを感じさせる要素が散りばめられています。スコットが手掛けたオリジナルシリーズへのリスペクトを感じるとともに、彼の監修のもと、フェデ・アルバレス監督の新しいアプローチがどのように融合しているのかにも注目です。

主演:新星エマ・ワッツが挑むヒロイン像

今作の主人公として登場するのは、若手女優のエマ・ワッツ。彼女は、地球外の強制労働施設で生き残ろうと奮闘する若者たちのリーダー的存在であり、エイリアンという未知の脅威に立ち向かう重要な役割を果たします。ワッツはこれまで、様々な映画やドラマで注目を集めてきましたが、今回の『エイリアン:ロムルス』では、エイリアンフランチャイズのヒロインとして、その実力を存分に発揮しています。

彼女の演じるキャラクターは、これまでのエイリアンシリーズのヒロイン像と共通点を持ちながらも、どこか新しさを感じさせる存在です。シリーズでお馴染みのリプリーダニエルズといった強い女性像を引き継ぎながらも、若者らしい未熟さや葛藤を持ちながら、成長していく姿が描かれています。

見どころ:恐怖と緊張感の融合

『エイリアン:ロムルス』の大きな見どころの一つは、恐怖と緊張感の絶妙なバランスです。フェデ・アルバレス監督の手腕が発揮された瞬間であり、観客を画面に釘付けにする演出が至る所に見られます。特に、エイリアンの不気味な存在感と、狭い空間での逃げ場のない恐怖は、シリーズの魅力を再び呼び起こす要素です。

加えて、今作ではこれまでのシリーズに登場した要素へのオマージュや、ファンサービス的な演出が多く取り入れられています。過去作のファンであれば、「このシーンはあの作品へのリスペクトだ」と感じることができるポイントが随所にあり、懐かしさと新鮮さがうまく融合しています。

はず・・・が。


まじかという感想

ゼノモーフの存在感と恐怖の欠如

『エイリアン』シリーズにおけるゼノモーフは、未知の恐怖そのものです。そのデザインから、異質な生態、どこから襲ってくるか分からない不気味さまで、すべてが観客の不安感を煽り、シリーズの代名詞となってきました。しかし、『ロムルス』においてはその象徴的存在であるゼノモーフが、あまりにも弱く感じられました。まるで、かつての恐怖を取り戻せず、ただ「そこにいるだけ」の存在となってしまったかのようです。オリジナルの『エイリアン』では、一体のゼノモーフが船内のクルーたちを次々と襲い、絶望的な恐怖に包まれる展開がありましたが、『ロムルス』ではそのような強烈な緊張感を味わうことはできませんでした。

ゼノモーフの弱さが際立ってしまった理由の一つとして、キャラクターたちが非常に簡単にゼノモーフを撃退する場面が多く見られたことが挙げられます。例えば、エイリアンに対抗するための電磁パルス銃の使用が、本作では度々描かれますが、そもそも宇宙船内での銃火器の使用には多大なリスクが伴うはずです。宇宙船の装甲を溶かすほどの酸を持つエイリアンに対して、なぜこのようなシンプルな武器が有効なのか、その説明は一切なく、観客は疑問を抱かずにはいられませんでした。また、フェイスハガーの驚異的なスピードやしつこさが全く表現されず、登場してもすぐに撃退されてしまう描写も多く、過去作における死の象徴のような存在感はどこへやら、という印象でした。

ゼノモーフの恐怖が薄れることは、エイリアンシリーズにとって致命的です。シリーズの根底にある「人間が未知の生命体に脅かされる恐怖」を失ってしまえば、エイリアンはただの「モンスター」に過ぎなくなってしまうからです。H.R.ギーガーのデザインした不気味な美学と、エイリアンの異質さが際立つ存在感がシリーズの肝であるにもかかわらず、本作ではその核心に触れることができなかったのが残念です。

キャラクターの薄さと物語の単調さ

『エイリアン』シリーズの魅力の一つに、個性的なキャラクターたちがいます。初代『エイリアン』でのリプリーや、続編の『エイリアン2』で登場したハドソン、アンドロイドのビショップは、観客の記憶に鮮烈に残るキャラクターでした。彼らはそれぞれの役割を超えて物語に強い影響を与え、感情移入できる存在となっていました。リプリーの勇敢さやハドソンのユーモア、ビショップのアンドロイドとしての冷静さと人間味、これらのキャラクターは、ゼノモーフとの対峙を通じて成長し、観客を引き込んでいきました。

しかし、『ロムルス』のキャラクターは、まったく個性が感じられませんでした。彼らは物語を進めるための「道具」としての役割に留まっており、その行動や感情に共感することができなかったのです。特に、アンドロイド「ルーク」は、シリーズの中で非常に重要な役割を果たしてきたアンドロイドたちと比べても、その存在感があまりにも弱く、視覚的にも感情的にも記憶に残ることはありませんでした。

また、主人公をはじめとする登場人物たちがゼノモーフと遭遇した際のリアクションも淡白で、緊張感や恐怖心が伝わってこないのも大きな問題です。初代や2作目では、登場人物たちが極限状態での生存本能を剥き出しにし、必死でゼノモーフと戦い抜いていましたが、本作ではそのような熱量を感じることはできませんでした。これにより、観客としても物語に没入することが難しくなり、ただ「見ているだけ」の状態になってしまいました。

ウェイランド・ユタニ社とシリーズの設定の使い方

『エイリアン』シリーズでは、ウェイランド・ユタニ社がシリーズ全体の背景にあり、その存在感が物語を大きく動かしてきました。彼らの利己的な企業活動が、ゼノモーフという危険な生命体を生み出し、物語の核となる多くの悲劇を引き起こしてきたわけです。『エイリアン2』では、ウェイランド・ユタニ社が植民地にエイリアンを持ち帰ろうとする陰謀が描かれ、それが物語の緊張感を高める重要な要素でした。

しかし、『ロムルス』ではウェイランド・ユタニ社の存在が非常に曖昧であり、その活動や目的がぼやけてしまっています。登場するアンドロイド「ルーク」が研究成果について誇らしげに語るシーンがありますが、これが物語に大きな意味を持つことはなく、ただの「説明台詞」に過ぎない印象を受けました。ウェイランド・ユタニ社が本作でどのような目的を持ち、何を企んでいるのかが不明瞭であり、ファンとしてはもっと深い裏の設定や陰謀を期待していただけに、失望が残ります。

過去作では、彼らの野心と非道な研究が物語にリアルな緊張感を与えていましたが、今回はそれが描かれることはなく、むしろ単なる舞台装置の一部として扱われてしまっているように感じました。ブラック企業としての彼らのダークな側面や、科学技術の倫理的な問題を掘り下げることができたはずですが、それが十分に活かされなかったのは残念です。

過去作へのオマージュと限界

『エイリアン:ロムルス』は、「原点回帰」として大々的に宣伝されていました。ファンとしては、この言葉を聞いただけで期待が高まりました。特に、リドリー・スコットが監督したオリジナル作や、その後の作品で築き上げられた緊張感や世界観が再現されるのではないか、と思ったのです。しかし、実際に映画を観てみると、その「原点回帰」という言葉は、単なる「焼き直し」に過ぎなかったという印象が拭えませんでした。

確かに、過去作へのオマージュは随所に散りばめられています。例えば、アンドロイド「ルーク」の造形や動きは、初代『エイリアン』で登場したアッシュや『エイリアン2』のビショップを彷彿とさせました。また、ゼノモーフの登場やその攻撃方法も、過去作を思い起こさせるものがありました。しかし、それらは「新しい」要素として生かされることはなく、ただ「懐かしさ」を喚起するための要素として使われているに過ぎないと感じました。

ファンとしては、過去作へのリスペクトを感じると同時に、新しい驚きや恐怖が加わることを期待していました。しかし、残念ながらそれ

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